桃源郷
2014年

老人は長年捜し求めていた夢を、もう少しで手に入れられると思うと、体中が震えた。

インド東部に始まって、ヨーロッパ各地を転々と旅をし、シルクロードを通り、またインドへたどり着いたときには、30年の歳月が流れていた。

その老人、慶介が大学院で出会ったその書は、モンゴル帝国のクビライが、夏の首都とした都市につけたと言われているある名前を解説した古代歴史家の書だった。その歴史家によれば、クビライが都市の首都につけた名前は、彼がヒンドゥの桃源郷をまねてつけた名前だと主張していた。ヒンドゥ語で書かれたその歴史家の書は、現代歴史家のどの解説もすでに予見しているかのように先見の洞察にあふれていた。その歴史家は検証の仕方も常に科学的で、資料の豊富さは他のどの有名歴史書に劣らなかった。特にまだ若い大学院生の慶介には、その予見の正しさは痛快でもあり、心底のめり込んでいった。

そんなある日、その書物の中にその桃源郷の下りを見つけ、彼の体は電撃に打たれた。

『キサナディ』『キサナドゥ』『ザナドゥ』等と発音されるその桃源郷は、その歴史家には珍しくヒンドゥ教の経典が出展になっていた。科学がもし推論と考察、証明と再現性で構築されているのだとしたら、現実に起きたであろう事実に迫ろうとする科学的な歴史観としては、宗教からの出典は単なる『うわさ』の域を出ない事が多々あり、科学的な推論の根拠としては希薄な場合が多い。事実その歴史家の歴史解説は、どの解説も出典やその著者の特定が見事になされた古文書や、民間保存の記録と呼べるに近い根拠を示す事に最大限の注意が払われていた。だが、この桃源郷については、元が宗教の哲学的真理に基づいていて、ほかの推論とは異彩を放っていた。

もともとヒンドゥ教の教義は「ブラフマン」と呼ばれる精神的実在以外は存在しないと言う不二一元論が柱となっていて、科学的な論証は非常に難しい。それをこの歴史家は踏まえた上で、クビライが自分のブラフマンを現実世界に体現した都市を造成したとした。慶介はその推論が、クビライやクビライの時代の政治家たちが残した書物と、その言い伝えを集め、検証し、あたかも考古学者が刷毛で出土品の土を丹念に落としながら発掘をするように証明してゆく、その手法と結論に慶介は宇宙を感じた。もしかしたら、人間が持つ精神性と、宇宙が持つ物質性はもともと同一の物かも知れないと思い至ったとき、慶介は頭がくらくらするほど心が動いた。

「これは・・、精神を物質化したとでも言いたげな推論だか、実際はどうだったのか・・。」

読み進む内にすっかり虜になった慶介は、最後の結論の証明が、ある書物の発見にかかっている事を知った時から、思いもよらない道へ自分の人生を賭して踏み出して行く事になった。

アートマンと呼ばれる自我が、唯一の存在であるブラフマンと同一である事を悟ったクビライが、理想郷としての都市を、その精神から作り上げ、そこに大勢の人間を住まわせたとされ、都市での生活やその都市の設計図から造成方法、さらに所在場所まで詳しく記した書物が残っていると言うのだ。その歴史家は、いろいろな古文書の断片や記述を繋ぎあわせ、その存在を確信した。慶介は歴史家の辿った道を、できる限り実際の目で確かめようと、帰国してアルバイトをしては、また出かける生活が始まった。

最初のヒントはインドを初めて訪れた時にやってきた。

まだ旅慣れない慶介は、観光者としてやって来たインド東部のブーリーで衝撃的な光景を見た。

それが起きたのはジャガンナート寺院で行われるラト・ヤートラー祭だった。京都の祇園祭りの原型とも噂されたらしいこの祭りは、大きな山車を町中に引き回し、2キロほど先の別の寺院まで行き、また引き返すという単純なものだった。巨大な山車は贅沢に飾られ、見たものを福徳に導くと言われていた。

土埃が舞い上がるでこぼこの道を、人の背丈ほどもある車輪を軋ませながら、慶介の前を派手な飾り板がチャラチャラと金属音を響かせて通り過ぎようとした時、年の頃15,6の男女が山車のゆく手に飛び込んだのだ。山車が大きく揺らいだが、引手は止めるわけにも行かず、そのままいやな揺れを残して通り過ぎた。後には無残な姿の二人が残されたが、悲鳴を上げたり狼狽えているのは観光客ばかりだった。町の人や官憲も特に慌てるでもなく、二人を道の脇に動かし、蓆をかけた。

「最近は少なくなった。まあ、二人は良い所へ旅立ったのでしょう。」

ガイドが無表情にそう話した。この祭りの山車は聖者の行進であり、見たものに福徳をもたらす事から、この山車に轢かれれば、解脱を得られると言われ、昔は大勢の人たちが身を投げたそうだ。総督だったイギリス人は集団自殺とみなし、これを防ぐ為の禁止令が出て減りはしたものの、今現在の苦しみから逃れようと身を投じる者が後を絶たないそうだ。

慶介は大きな衝撃を受けた。事故や病気で迎えた死との出会いならば、いくらかは経験があった。しかし、単純に自殺とも違うこのような死は、無宗教、いや、人間の精神性の本質と今生きる物質性を探求しようとしている慶介には到底納得できなかった。なぜか慶介には、もったいない気持ちをもたらした。

慶介は滞在期間を使って、旅立った二人の背景をできる限り調べた。ガイドは慶介の気持ちを汲んでくれて、全面的に協力してくれた。

二人はブーリーから20kmほど西へ離れた小さな農村の幼馴染だった。家は貧乏だが、兄弟は多く、男の子の方は5人、少女の方は8人の兄弟がいた。両方の親も兄弟も家に福音をもたらすであろう二人の死を歓迎する言葉を口にした時、慶介はさらに別の衝撃を受けた。なぜなら慶介には言葉がわからないが、深く深く悲しんでいる思いを慶介の心が感じていたのに、ガイドの通訳は全く逆だったからだ。慶介は何度もガイドに確かめねばならなかった。慶介は涙が止まらなかった。

慶介は思った。何かが間違えている。こんな方法で解脱や福徳が得られるはずがない。精神と物質が同一であるなら、それを消し去ることが解脱ではないし、ましてや物質が有ることが何かを制約しているのなら、同一である精神も何かを制約している事になる。だが、それが唯一の宇宙なのだ。恐ろしく『制約』とは矛盾する。はたしてそれから逃れる事が解脱なのか?この世界から逃げるだけではないのか?解脱と脱出は全く違うのではないか?しかも精神世界も宇宙も無限であるのだ。無限からどうやって逃れるというのだ。

最後の日、慶介はガイドと共にジャガンナート寺院を訪れた。長のバッカルディ僧は心良く慶介の頼みを聞いてくれ、ラト・ヤートラーについて書かれた書物の閲覧を許してくれた。

だが、サンスクリットらしいその文字は、ガイドですら歯が立たなかった。この書物の記載に、『キサナドゥ』の記述を見つけるまでに、実に30回の訪問と18年の歳月が必要だった。その記述を詳しく見るには、ある経典が必要だったが、この寺院には無かった。

慶介はイギリス統治の頃、経典が大量に持ち出された事を突き止め、ロンドンへと旅は向かった。

大英博物館の主任司書に会う為には、4か月の滞在が必要だった。違法ではあるが、滞在費の為、日本食レストラン等でアルバイトをしながら慶介はその機会を待った。

主任司書は物腰のおだやかな人で、美人の学術員に資料館へ案内させた。慶介は日本食レストランで手に入れた幻の大吟醸が功を奏したと思った。

学術員しか入る事のないその部屋は、書庫というよりは作業場のようだった。ここで公開されない歴史物が厳重に保管され、また、修復とメンテナンスが行われていた。特にこの部屋は東インドの民間関係の書物が多く収納されていて、目的の書物に出会うまでにかなりの時間を要した。慶介にはそれは無駄な時間ではなかった。

もちろん目的の経典を見つけた時は、部屋中を走り回り咎められるほど喜んだのだが、他にも思いもよらぬ記述を発見したりと、充実した時間をすごせた。特に役立ちそうだったのは、暗号としての密教語の解説を手に入れた事だった。これはありがたかった。やはりこうして一所に世界の英知が集められる利便性は、魅力的だ。しかしこの魅力は悪魔のそれに近い。かつての大英帝国が海賊行為に近い状況で集めたものもあるのだ。気を付けないと、世界を征服したくなる。

結局その資料館で目的の経典の発見・解読と、レイチェル、つまり美人の学術員とファーストネームで呼び合えるようになるまで4年の歳月と20回のイギリス訪問が必要だった。

慶介は集めた情報をまとめ、パズルを埋めるようにさらなるヒントを求めて各地を回った。ヨーロッパはスカンジナビア・シェットランド諸島のウップヘイリー、北米ニューオーリンズ・マルディグラ(どちらもなぜか『火曜』がキーワードだった。)や南米・リオ。またイスタンブール・テヘランと渡り、インド・デリーではアガスティアでナディ・リーディングを受けたりした。これはとてもバーナム効果の匂いがした。

ついにバンガロール近くのヒンドゥ寺院で、その古文書が蔵書されている事を確認した。幻の・・いや、今は確信に変わっている、あの理想郷、『キサナドゥ』の場所が明らかになるのだ。

慶介はこの30年を思った。宗教とは何か。解脱とは何か。それがどれだけの人を救い、また同時に苦しめ、欺いて来たか。だがまだ人はそこに希望を求め、さらなる救いと苦しみを与えられる。慶介は老いて皺とシミが増えた手を見て、自分の人生を思った。

『じゃあ、私はどうなんだ?キサナドゥが存在した事を証明して、何が得られるのか・・。いや、何かを得ようとしてきたのではないのだ。私はあの歴史家の書に出会い、クビライと言う男がこの世界に生きて理想郷を生み出したかもしれない事を、どうしても知りたかった・・・。そうだ。ただ知りたかっただけなんだ。』

慶介は寺院の長が目的の書物を蔵から運ぶのを待ちながら独り思った。

怪しげな雰囲気のその長がうやうやしく運んできた書物には、古いヒンドゥーで「キサナドゥ」と発音できる文字と、古代文字の暗号が書かれていた。大英博物館の知識が役に立った。慶介は注意深くその文字を解読して行った。

「すべては予言の書によりここにその永遠の場所を示す。・・・北・・35・22・41・218・・・東・・139・55・45・757・・・これは北緯と東経だ!やったぞ!そこにちがいない!」

狂喜乱舞しそうな勢いで世界地図を取り出した慶介は、大まかなあたりをつけた。

「何だと!日本の中じゃないか!」

詳しい日本地図を出し、北緯を右手の人差し指、東経を左手の人差し指でたどった。両手の人差し指が出会った場所を、彼は恐る恐る見た。

そこは「木更津」だった。

「え?キサラドゥ?」

おわり




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