ChildMetal
2016年

岩夫は老舗ホテルのバーに向かうエレベータの鏡に向かって体を少し斜めにしてみた。

スコットランド生まれで、祖父がイギリス人である岩夫の整った顔は皺が目立つようになり、昔なら『恰幅』が良いと表現されるフォルムになった自分が鏡の中にいた。

(67歳・・こんなものかな。)

マホガニーの壁に掲げてある額付の大きな鏡に、岩夫の他に客は映っていなかった。岩夫は踏み心地の良い、厚い絨毯の感触を確かめるようエナメルの黒靴を履いた両足に体重をかけ、明るいグレーのジャケットから覗く、チェックのアスコットに合わせた紺桔梗のチーフを直した。

エレベータを降りるとすぐ右にあるバーは、バーカウンターの後ろにある大きなウインドウ越しの見事な夜景が、ひそひそと聞こえてくる客の会話と食器の音とあいまって、日常のほうが幻想かと疑いたくなる世界へ誘い込む。

「いらっしゃいませ。」

糊のきいたシャツに蝶ネクタイを形良く締め、深い黒のベストという昔ながらのアウトフィットのバーテンダーが、岩夫のような物事にこだわりがある客にも安心した居心地を約束してくれる。バーテンダーはメリハリのある照明が施されたカウンター越しに声をかけ、空いているスツールを手で示す。

「薔(みずたで)さま、いらっしゃいませ。本日は雑誌の取材とお聞きしていますが、カウンターでよろしいですか?」

チーフ・バーテンダーの神木が、カウンター越しから岩夫に少し顔を寄せて聞いた。

「ああ、そうなのだ。あえてカウンターにさせてもらうよ。迷惑でなければ。」

「迷惑な訳がありません。薔様。当店を選んでいただいて光栄です。先に何かお召し上がりになりますか?」

「そうだな、久々にフェディックの15年をシングルでもらおうか。」

「かしこまりました。」

薄い錆色がはいった大理石のコースターに乗った、琥珀の液体が揺れる、底のカットが美しいシングルグラスと、真っ白な、ロゴさえ書かれていない厚紙のコースターに乗ったチェイサーとを、慣れた手つきで差し出す神木の所作の美しさに、岩夫は思わず両手をすりあわせた。表には見えない鍛錬と、その鍛錬を支え続けるその人のまっすぐな思いは、見る人の心を動かす。岩夫はこういうことこそが「本物」だと確信していたし、自分の職業である音楽批評もこうでありたいと思った。

シングルグラスを口元に運ぶと、ふわりとシナモンレーズンを思わせる上品な香りを感じ、一度口元から離し、まじまじとグラスを眺めた。

(おや?こんな芳醇な香りだったか?もっと軽い、分りやすい香りではなかったか。シングルモルトの初心者向けといわれる所以だったはずなのに・・。)

「少し驚いておられますか?」

笑みを浮かべながら神木が聞いた。

「ああ、難しい顔をしてしまったかな?いや、フェディックはこんな芳醇な香りをもっていたかなと思って。」

「はい、いろいろなスコッチを試され、深く経験のある方ほど久しぶりのフェディックでは同じ感想を持たれるようです。」

「なるほど。」

岩夫は少し口に含むと、その舌触りと味わい、鼻に抜ける香りの織り成す和音を楽しんだ。

「初心者向けというのは、つまり王道だからなのか。まず王道を知っていれば、どんなに冒険をしても迷路にはまってしまうことがない。安心してスコッチの世界を遠くまで行く準備ができるという事だな。ブルースの旅に出たいなら、『マディウォーターズを聞いてから』みたいな。いいね。次の原稿に使おうかね。」

岩夫は言い終えるともう一口含み、にこにこしている神木にウインクした。

「いらっしゃいませ。」

よれよれのグレーのジャケットの下に、稲妻のようなデザインがうるさく入った黒いTシャツ、白いスキニージーンズの足元にはやけに新しい黒のローファーを履いた年齢不詳の男が、バーカウンターへやってきて岩夫を見つけ話しかけた。

「リボルビング・ジャパンの中林圭吾と申します。みずたでさん、本日はインタビューに応じていただき、誠にありがとうございます。」

中林はカウンターに座る岩夫のななめ後ろで頭を深くさげ、スツールから立ちあがった

岩夫に名刺を差し出した。

リボルビングはアメリカのロックミュージック専門誌で、しかも岩夫が最も嫌いなメタルというジャンルで世界的に有名な雑誌だった。その日本版からインタビューの申し出があった。普段の岩夫ならそんなインタビューは受けるはずもなかった。音楽批評を生業にしてはいるが、岩夫のジャンルはブルースを中心にジャズなどが主流で、ロックやパンクといったジャンルはほとんど聞かない。もちろん音楽の歴史や流れを語る上で重要なものは押さえてはいるものの、メタルに至っては最もメジャーなバンドを評して『やかましい』という表現を使って物議をかもしたりした。だが岩夫の頑固でブレない姿勢や、若い時から聞いてきた多くのアーティストに対する知識は認められていた。万人に有名なビッグネームというわけではないが、そのおかげで業界には珍しく利害関係も希薄で、はっきりと物を言う姿勢が潔いとコアなファンもついていた。たまに冷静さを欠く好き嫌い発言があるものの、業界ではそこそこ良い立ち位置にいた。

しかし今回、テレビでのある発言が元で、彼のTwitterやブログが炎上する事件起きた。当初岩夫はいつもの事と無視していたが、リボルビング・ジャパンというメジャー雑誌からのオファーは、その発言の真意を発表するのによい機会だと思い、編集長が自らカメラなしの一人で取材に来る事と、発言を意図的に編集しない事を条件にOKした。

岩夫は隣のスツールにすわるよう促し、自らは元のスツールに腰を下ろすと、懐から老眼鏡をとりだし、中林の名刺を両手で持って眺めた。

「ああ、好きな物を頼みなさい。知っていると思うが、僕はメタルと言う雑音は嫌いだ。だが、それを聞く人間が嫌いなわけではないからな。ここを指定したのは、敵対したいからではないんだ」

岩夫は老眼鏡の上から中林を見て言った。目が笑ってはいなかったが、言葉の裏の感情は中林に読み取れなかった。

「・・雑音・・。敵対しないように早速のジャブというわけですね。」

今度は岩夫の目が少し笑った。

中林はバーテンに向かい顎を少し上げ、人差し指でカウンターの自分の前をとんとんと軽く叩きながら言った。

「僕はラガー・ビールをください。」

「どこかの映画スターのまねかい?」

そう言いながら岩夫が名刺と老眼鏡をポケットにしまった。

「いえ、敬愛するメタルマスターへのオマージュですよ。」

そう答える中林に向かって岩夫は口をへの字にして首をすくめて見せた。

中林の前にビールが置かれた。バーテンダーの神木の流れるような所作は、相変わらず美しかった。岩夫は手のひらを中林に向け、「どうぞ」と言った。中林はグラス半分を一気に飲み、ため息をつきながらグラスを置いた。

「さてみずたでさん。ご希望のように正確なインタビューの為、録音させていただきたいのですが宜しいでしょうか?」

懐からヴォイスレコーダーを取り出すと顔のそばに持ち、岩夫を見た。

「もちろん、そうしてくれて結構。」

岩夫の答えが全て終わらないうちに中林の顔の横に掲げたヴォイスレコーダーの録音中インジケータが赤く光った。

「ではよろしくお願いいたします。」

言いながら中林はレコーダーを二人の間に置いた

「さて、早速ですが、今回みずたでさんのTwitterが炎上した件ですが、事実関係を少し確かめさせていただきながらお聞きします。」

中林はジャケットの内ポケットから小さなメモと鉛筆を取り出し、ページをめくった。

岩夫の発言の顛末は先週の金曜に遡る。

岩夫は東京のローカル局の朝の情報番組内で、エンタメの短い音楽情報コーナー担当コメンテーターとして毎週金曜、女流作家、外国人ジャーナリストと共に出演していた。

「ShowBizUp」というそのコーナーは、映画、演劇、音楽とエンタメ系の取材した情報というより、いろいろな映像や情報の2次使用で構成されていた。

問題は先週金曜の話題で、アメリカビルボード上位にチャートインする歴史的な快挙を挙げ、日本のメジャーなメディアでもこぞって取り上げ始めた日本の新しいメタルバンドが紹介された時だった。一番目を引く新しさは、本格的なメタルサウンドにのせて、ローティーンの女の子3人が、すでに世界が認知している日本独自のKawaiiを基本に踊り歌うというものだった。このバンドはすでに数年前から動画投稿サイトなどで、その音楽性の高さも含め海外から話題になっており、再生回数も4千万回を超えていた。この動画をきっかけに、これはメタルと呼べるのか否かで、海外メタルファンの間に激しい賛否両論の議論が沸き起こり、結果話題のこのバンドはヨーロッパ最大のメタルサウンドフェスに出演することになった。賛成も反対も一目見ようと大盛況となり、この様子がまた動画サイトに投稿されると、アメリカを含める世界各国に衝撃を持って話題となっていた。しかしまだ日本のメディアは全く無反応だった。今回アルバム発売と同時にイギリスの名門アリーナを満杯にした上、そのアルバムがビルボードトップ40にチャートインしてようやく日本のメディアは押っ取り刀で取り上げた状態だった。

そんな状態でまともに解説できるメディアがあるはずもなく、岩夫と一緒にコメントした女流作家などは、東洋の雰囲気が外人に受けたとコメントするなど、情報不足の中での解説は海外の音楽ファンの反応とは遠くかけ離れ、滑稽ですらあった。

そんな中、「結局、音より見た目が受けたということですね?みずたでさん。」と岩夫はMCに振られた。もちろん岩夫は前から海外の反応は耳にしていたし、いくつか音も聞いてみた。だが残念なことに、岩夫が最も嫌悪するメタルサウンドがやかましく鳴り響く中、これも岩夫が前から嫌悪していた「アイドル」の分類に入る見た目に辟易したのだった。

「先週の金曜、みずたでさんの出演する東京MMX放送局の情報番組『ShowBizUp』内でChildMetalというバンドの話題にコメントを求められた時、『もうね。世紀末だね。』と発言なさったのですね?その真意をお伺いしてもよいですか?」

岩夫はシングルグラスをぐいと飲み干すと、神木に向かって右手の人差し指をたてた。神木は少しうなずいた。

「まあ、言った通りだよ。」

「なぜ『世紀末』なのですか?どこかデカダンス的な意味合いですか?」

「まあ、そうとってもらって構わない。そもそも僕は幼さを芸能に持ち込むこと自体、嫌悪の対象だから。もっときちんと鍛錬された裏打ちがあってこそ芸というのは光をはなつんだ。」

「それでその発言に対して、『見た目だけで判断しないでほしい。』というTweetに、『メディアを通じて耳にしていたが、あれはまがい物。あれが評価さるのであれは世紀末。』と返して、結局これがますます炎上した原因となったわけですね?その後、なにも反応をお返しになっていないようですが。」

「僕の中では終わっています。むだな論争はしたくない。ただ、今日インタビューに応じたのは、今の若い人に『本物』というものを考えるきっかけになってほしかったから。」

岩夫は神木が差し替えたシングルグラスを一口含んでゆっくり味わった。それを飲み込むときの表情はまるで笑顔のようだった。それを見た中林は残りのビールを飲み干すと、「もう一杯同じもの。」と言いながら、最初と同じポーズをした。

「ふふふ。」

それを見て岩夫は思わず失笑してしまった。中林は怪訝な顔をした。

「いや、失敬。最初は物珍しいしぐさだから良いが、2度以上は止めておいた方がよいかな。ちょっと滑稽だった。」

中林は眉をひそめて言った。

「みずたでさん、失礼ですよ。僕なりに自分が尊敬する人間への敬意のつもりなんです。それをそんな上から目線で言わなくても。」

「いやいや、僕は自分の意見を言ったまでだよ。何を言われても考えがあっての行動ができる人は嫌いじゃない。」

岩夫は子供独特のかわいさを目の当たりにした時のような満面の笑みを浮かべながら、シングルグラスで乾杯のようなしぐさを中林に向けた。中林は運ばれてきた2杯目を目の高さまで持ち上げてそれに応え、一口飲むとグラスを置いた。

「さて、話題に戻ります。みずたでさんの言う『本物』と『まがいもの』の違いはなんですか?」

「そう。それを良くわかって欲しいのだ。僕は初めてちゃんと音楽と向き合ってかれこれ60年になる。いろいろな時代があったし、いろいろなアーティストがいた。今も聞かれているアーティストや音楽には共通して流れているものがあると思う。それが『本物感』というもの。そしてそれを持つことが一流の証になるんだ。」

「一流・・ですか。」

「この店を指定したのは、君と敵対したいからではないんだ。若い人に本当の一流とは何かを実感してほしかったのだ。音楽にしても、一流と言われるものはやはり一流の環境と雰囲気にぴたりとはまるものだから。そしてそれらは全て人間がインスピレーションと努力の上になし得たものだ。人間は素晴らしい。思いを込めた努力で、どんなこともやってのける力がある。若い人たちには、音楽を含め、物事に込められた思いと努力を読み取れる、つまり一流を理解できる人間になってほしいと思う。」

「観念的すぎるので、もう少しわかりやすくお願いします。」

「そうかね?ずいぶん噛み砕いたつもりだがね。じゃあたとえばこのカウンターを見たまえ。オーク材の一枚板だよ。これはおそらく樹齢三百年以上はあるだろう。この大きさの木を切り倒し、これを切りだし、ここまできれいに磨き上げる技は、一朝一夕では手に入らない。そしてこのカウンターの凄さを微塵も意識させないほど調和した内装と調度、このステータスに見合ったサービスを提供してくれる、よく訓練されたスタッフ。きっと君が飲んだビールの味は、同じものを居酒屋で飲むのとは違った味になっていたはずだ。」

いわれて中林は自分の前にあるビールを飲んだ。

「いつものラガーですけどね。」

岩夫は両手の平を上に向けて口をへの字にし、首を小さく振った。

「まあ、君も経験を積めばいずれわかるさ。」

「つまり一流は経験を積まないとすぐには理解できないという事ですか?」

「やれやれ。今の説明はこの場所でのビールの味につて言ったまでだ。バーは大人のたしなみだから例としてまだ君には早すぎたと思ったのさ。」

「一流を知るには早すぎることがあると?」

中林に対して特化した意見であることはわかっていたが、わざと一般論として食い下がってみた。

岩夫は中林が座っている側の眉毛をピクリと動かした。中林は目ざとくそれを見つけた。決して上等な手段ではないが、取材相手の感情を揺さぶると、内側に隠れた本音が見える場合がある。中林のあまり好きな方法ではないが、このまま続けてみる事にした。

「揚げ足取りだね。一流としてあげたこのバーを君が理解するのにはまだ経験不足だといったまでだ。一般論ではない!」

岩夫は残りのウィスキーを飲み干すと、神木に目配せした。神木は(かしこまりました)というように軽く会釈をした。岩夫はチェイサーも一気に飲み干し、少し乱暴に氷の音を立てた。

「そもそも君、歳はいくつなんだ。」

「29になります。」

「なんだと!まだひよこだな。でも一流の雑誌の日本版編集長だろ?大したものじゃないか。それがそんな理解力ではいかんな。」

「一流を理解するのに年齢が関係している事が今一つわからないのですが、その前に私の質問である『本物』と『まがい物』の違いをもう少し詳しくお願いします。」

神木が岩夫の前に、琥珀の液体で満たされたシングルグラスと、ななめ前に少しだけ間を空けて氷入りのチェイサーを置いた。岩夫は中林の方に顔を向け、中林側と反対の手のひらを中林に向け、「どうだ。」という顔をした。

「その飲み物の置き方を見ろとおっしゃっているんですか?これが本物だと。」

満足げな岩夫は「その通り。」と満面の笑みを浮かべた。

「君からも見えると思うが、このシングルグラスの置き方、一見どこを向けて出しても同じに見えるかもしれない。だが、このグラスには底の部分にカットがあって、光を屈折させているんだ。だからいま見えているように、照明の光が中のウィスキーとグラスのカットを通してコースターに不思議な色の虹を映す。見たまえ、グラスを回して向きをずらすとその虹は消えてしまう。これらを流れるように給仕しながら行うのは、相当の経験と鍛錬が必要なのだ。『本物』とはね、確かな鍛錬と経験で作り上げるものなんだよ。」

「今回ChildMetalへの『まがい物』というご意見は、彼女たちにはそれ相当の経験と鍛錬が無いという事ですか?」

「あれはまた違うんだよ。それ以前の問題なのだ。」

「詳しくお願いします。」

「先日、歌舞伎の小野前菊五郎の息子で5歳の正也が初舞台お披露目だった。大人のそうそうたる歌舞伎役者と同じ隈取をして、小さいが豪華な着物を着せられて、舌も回らないセリフを言うんだ。『本物』の役者に敵うわけもないが、『かわいさ』で目がくらんでいるから客は喜ぶ。これは『まがい物』なんだよ。『まがいもの』の歌舞伎だが、客はわかってて喜ぶ。ご祝儀みたいなものさ。だがだれもこの5歳だけに料金を払って見に来たいとは思わんだろう。その、話題のグループってやつはローティーンなんだろう?幾つだっけ。」

「ボーカルが17歳で、両脇のコーラスが15歳ですね。デビューは6年前ですから、111歳と9歳という事になりますね。」

中林はメモを見ながら答えた。岩夫は口をぽかんとあけ、あきれたような顔をしてすぐに首をすくめた。

「世界には若くして認められる才能もたくさんあるように思いますが。マイケルジャクソンがジャクソン5で全米1位になったのは10歳のときでしたし。おっと、ブラックもソウルも聞かないんでしたね。じゃあ・・。」

中林はメモを忙しくめくった。

「これこれ。ニュージーランド出身の世界的な歌姫、ヘイリーウェステンラはどうです?11歳の時にはすでに40回以上ミュージカルに出演していたと思いますが。」

中林はメモをテーブルに置くとビールを一口飲んだ。

「いや、もちろんそうだ。だが、やはりヘイリーの円熟は20歳過ぎた頃からで、その時参加していたケルティックウーマンへの参加経験が大きいと思う。いくら原石が良くても、磨きがかかってこそ本物と言えるんだよ。」

「なるほど。あくまで新しいものは認めないと。」

「いやいや。誤解してもらっては困る。僕が言いたいのは、僕が商業主義を音楽と称する事を嫌悪している点なんだ。それは本物の音楽では無いと言っているんだよ。見た目やキャラクターの話題性、あるいは性や幼さをギミックにして、音楽性より『売れるフレーズ』を組み立てて作られた音にのせた、学芸会もどきのショーはまっぴらなんだ。音楽は人生そのもの。深い思いや情熱から、体の外へとどうしてもあふれ出てしまう何かを、声や楽器などの手段で伝えようとしたとき、初めて『本物』の音楽が生まれるんだ。音楽だけじゃない。この世界にある『本物』は、全てそうして出来ていると言っても過言じゃない。」

岩夫は目を輝かせていた。岩夫が経験してきた認知されることも、ましてやヒットする事もなかった、大勢の歌手や音楽家を目指した人々の、心を打った名演を思った。

「僕はね、そういった音楽をどうしても広めて行きたいんだ。沢山の人々とその感動を共有したい。その人の人生をかけた『本物』の音楽という感動をね。まだまだ自分の力が足りないとは思っているが、手っ取り早い手段として商業主義になりたくない。中にはスポンサーとうまくやって自分の紹介したい音楽を流している奴もいる。だがね、本当に良い音楽があれば、スポンサーは向こうから申し出てくるだろう。そうなってこそ『本物』なんだ。」

岩夫はチェイサーを取り、一気に飲んだ。

「なるほど。その点はメタル純粋主義者と同じですね。うちの編集部にもいますよ。徹底したメタル純粋主義者。自分で作った曲を、自分で演奏して、人生をかけて技術を磨くっていう原則。なにしろ、長い髪を切っただけで『あのバンドはもう終わりだ』と本気で言っていますから。」

新しいチェイサーを一口飲み、岩夫はこう言った。

「そうかね。だが申し訳ないがメタルは興味がない。そもそも音楽だとすら思っていない。」

中林は(カチン)と来たが、ここは自分がインタビュアーの立場なので、感情は押さえることにした。インタビュアーが感情を揺さぶられるトリックに引っかかるわけにはいかない。

「そうですか。ですがジャンルも溺愛すると、その様式美にこだわり始めませんか?先ほど歌舞伎の例をお出しになったけれど、元は庶民の娯楽だったものを、その様式美だけが残ったものですよね?」

岩夫は「はあ。」とひとつため息をついた。

「先人達が己の芸を、人生をかけて磨き上げ、そのエッセンスとして後世に残したものが様式美なんだ。何かに執着してできたものじゃない。そして、確かに庶民の娯楽が起源だ。今だって庶民の娯楽であることに間違いはない。だがね、単なる娯楽から、芸術としてその国の文化となるほど先人達の命を削る努力があったという事だよ。こういうことが一流であり、本物なのだよ。海外に日本の文化を紹介するなら、こういう物であるべきだろう。輸入物のバリエーションにギミックを乗せただけのものなんて、まがい物だよ。」

岩夫はグラスをとり、グラス半分ほどを飲んだ。

「なるほど。ところでみずたでさんはメタルはお聞きにならないんですよね?」

「あれは音楽じゃない。」

「ずいぶんな嫌われようですね。まあ、そのジャンルの雑誌編集者としては聞き捨て置けない所ですが、今日はちょっと趣旨が違うので流すことにして、なぜお聞きにならないジャンルに『本物』『まがいもの』の判別をなさったのですか?批評家としてまずくないですか?」

「聞かないとは言っていない。僕も音楽の批評に携わって長いんだ。僕の周りには敏感な音感応型レーダーみたいな奴もいてね。聞かせてもらったりもしたことはある。まあ、やっぱり音楽じゃなかったけれどね。」

「批評家として批評を口にするなら、それなりに取材や体験は必要ではないですか?」

岩夫はにやりとしながら中林をみた。

「君は小林秀雄という評論家を知っているかね?」

「聞いたことはあります。日本で評論というジャンルを確立した人だと思っていますが。」

「まあ、良いだろう。その小林のところへ、ある時小林が酷評した小説の作家が怒鳴り込んできた。ろくろく読みもしないで評論したと。だがね、小林言曰く。3項も読めば大抵の作品は想像がつく。そういう力量がなければどんな作品も評論はできない。とね。」

中林はビールグラスの残りをあおり、口をふき、決心したように体を岩夫に向けた。

「先ほどみずたでさんはおっしゃっていましたね。『音楽は人生そのもの。深い思いや情熱から、体の外へとどうしてもあふれ出てしまう何かを、声や楽器などの手段で伝えようとするもの』。メタルと言う音楽もそうして生まれて来たんですよ。メタルって、これもみずたでさんが嫌悪する商業主義を破壊したくて生まれた面もあるんです。なんだか今回お話を伺って、底に流れるものは、僕たちメタラーとの違いは無いように思えます。ですが、評論家の例のように、ちょっと聞いただけで音楽家が人生をかけた音を批評できるとは到底思えません。そこにあるのはそんな高尚なことではなく、伝える手段の単なる好みじゃないんですか?今回のメタルバンドChildMetalはデビューして6年目でようやく世界が認めかけています。これは半端に商業主義でできる事じゃなく、実際彼らの音作り、演奏、パフォーマンスはプロフェッショナルそのものです。彼女達は人生で最も楽しい子供時代全てを、ダンスやボーカル、ステージングに懸けて来たんです。メインボーカルがわずか16歳の時、ユーロッパ最大のメタルフェスで、商業主義が大嫌いな6万人のスキンヘッドのアナーキー達を前に、その批判されているパフォーマンスを堂々とやってのけたんです。へたをすればペットボトルの雨を見舞われるところです。そうなったら怪我じゃすみません。経験がある大人だってビビるような状況だったんです。ですが、信じて続けてきたそのゆるぎない自分たちの音楽に対する自信を、メタラー達は音とパフォーマンスから感じ、ステージは大成功でした。」

聞いていた岩夫は赤い顔をしていた。憤怒のせいか、酔ったせいか中林には良くわからなかった。

「彼女たちは頑張ったんだから認めろと?さあ。頑張る方向を間違えたんじゃないか。まあ、せっかく経験が最も早く吸収できる子供時代に、いろいろ経験させてあげなかったのは、親にも責任があるね。」

中林は震える手を押さえるため、握りしめた。

「私は今日、インタビューにきたのであって、あなたを説得しようと思ったわけではありません。ですが、おしゃっている事があまりにも矛盾するのにちょっと我慢なりませんので申し上げます。」

「何をばかな・・!」

声をあらげようとする岩夫を手の平を挙げて制して中林は続けた。

「若者はあなたのように経験がまだありません。だからこれから分かることも事もたくさんあり、経験を過ごしてきたあなたのような方に比べれば、無知なのは当然です。あなたも若いころきっとそうだったように、すべてが新鮮なんです。あなたが勧める古き良き時代のジャズも、若者にとっては新しいものです。そして今の自分なりの解釈をした、さらなる新しいものを作り出す力があります。その力は『わくわく』なんですよ。あなただって若い時、あったでしょう?ラジオから流れてくる音楽にわくわくしませんでしたか?それが伝統だろうと一流だろうと本物だろうとまがい物だろうと。若者はそのわくわくでまがい物だって本物に変える力があると思います。歳を取ると『知らない』事や『初めて』が恥ずかしくなるのですか。わくわくするのが恥ずかしいですか。でもわくわくするのは若い人の特権ではないです。たとえば今回のChildMetalは全く新しいジャンルで、これが年季の入った年寄メタラーにも若いころのわくわくする気持ちを思い起こさせたんです。最初に拒否反応を示すのがデフォルトだとファンも認めています。でも強い拒否反応は、結局その人のコアな感情を揺さぶり『なんてクレージーなんだ』とわくわくさせられるんです。そして聞けば聞くほどわくわくしてくる。新しいものが生まれる時ってそうなんじゃないですか?一流?本物?僕には全てしたり顔の老人の後出しじゃんけんに思えますよ。ああ、これなら知ってる。~の焼き直しだろ?じじいの評論家ほど言うでしょ?そんな豆知識はどうでもいいんだよ。どうしてわくわくするのか解説できないなら黙っててくれ!って思います。先ほど輸入物のバリエーションとおしゃっていました。もし新しい組み合わせを単にバリエーションだなんていうなら、この世界に新しいものなんて無くなっちゃいます。新しかろうと古かろうと本物だろうとまがい物だろうと、そんなの関係ない!だれかの気持ちをわくわくさせてみろ!って言いたいです。」

中林は心配そうに見ていた神木にもう一杯ビールを頼み、それを一気に飲み干した。

岩夫はと言うと、なぜかおだやかな顔で黙って中林を見ていた。

「いや、みずたでさん。調子に乗りすぎました。気に障ったらあやまります。」

岩夫は少し考えるようなしぐさをした。

「なるほど。わくわくね・・。言われてみれば、私もしばらく無いね。あの新しいレコードを抱えて帰るわくわく。そうだね。こんな仕事をしているから、どうしてもいろいろな経験が逆に既視感としてそのわくわくをじゃまするのかもしれない。本物を紹介しなければという使命感もあったし。だがね、君に言われてはたと気づいたよ。そう、僕が伝えなければならないのはそのわくわくだったとね。」

「みずたでさん!ありがとうございます。メタルも含めてChildMetalを聞いてみる気になりましたか?」

「皆がわくわくするというなら、それもありなんじゃないか?」

中林はカウンターの下で小さくガッツポーズをした。

「いつか来た道だ。老人は物分りが良い部分も無いとな。当然自分が好みでない・・いや積極的に嫌いな類の音楽に対する意見を求められても困ると思っていたが、今日は私が勉強になったよ。ありがとう。」

中林は椅子から立ち上がって握手をした。

「ありがとうございました。」

後日、中林の編集局にみずたでから中林に宛てて手紙が来た。

「前略 中林殿

結局聞いてみたがやっぱり嫌いだ。今度は理屈なしだがね。

『好みじゃない。』

今度は批判ではなく、単純にそういう言う事にするよ。

草々」

中林の嬉しそうな笑い声が編集部に響いた。

おわり




All rights reserved by NY